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伊香詰所の歴史

信仰心が篤い湖北の門信徒によって
営々と受け継がれてきた伊香詰所

東本願寺は1788年から1864年にかけて四度の火災にあいました。その都度再建のために全国の門信徒がそれぞれの「詰所」に集まり、再建のために奉仕をしました。伊香郡内の私たちの先祖も「伊香詰所」に集い、最後の再建のときには再建作業の奉仕と聴聞の生活を1880年(明治13年)より、10年余にわたって続けました。当時、東本願寺周辺に50以上あったと伝えらる「詰所」は時代とともに減少し、今は、「伊香詰所」を含めて5軒だけになりました。滋賀県伊香郡も交通機関の発達により日帰り圏内になり、郡内の宿泊者が減少してきたので、一般の観光客やビジネス関係の客も受け入れ、対応を図ってきました。さらに建物が老朽化してきたので、耐震性、プライバシーの保護など時代の要請に応えて、2005年(平成17年)に賃貸マンションを併設して鉄筋コンクリート4階建に改築しました。真宗大谷派長浜教務所の23,24組の門徒の中から選ばれた10名ほどの管理人(家代ヤタイ)の輪番制により、日々の業務を行う等、今後も伝統を残しながら、先祖の功績と熱意を後世に伝えていきたいと努力しております。

1990年(平成2年)ころの伊香詰所前の街の風景 座敷机に座布団で宿泊の受付 外国人のお客様と一緒に

1990年(平成2年)ころの伊香詰所前の街の風景
築140余年の旧伊香詰所は京町屋風で趣があり、TVの取材もたびたびあった。この頃からの常連のお客さんが今もよく利用する。

座敷机に座布団で宿泊の受付
内部の間取りも和風で民家の居間のようであった。奥に仏間、右手に食堂があり、全国各地の情報交換の場となっていた。

外国人のお客様と一緒に
韓国・台湾、中国などのアジアやアメリカ・フランス・イタリアなどの欧米のお客さんも、畳・布団・浴衣で宿泊していた。

仏間には湖北地方独特の立派な仏壇がある 明治時代後期の初代京都駅舎 京都駅に停車中の汽車

仏間には湖北地方独特の立派な仏壇がある
先祖の意思を大切にして、朝夕、この内仏にお参りをしている。今も全国の真宗大谷派関係の宿泊者が多い。

明治時代後期の初代京都駅舎
明治13年に京都ー大津の鉄道が開通したが、大津ー長浜間は琵琶湖汽船であった。駅前広場は当時未舗装で、大勢の人や馬車が行きかっていた。

京都駅に停車中の汽車
東海道線が全線開通したのは明治22年、琵琶湖疎水(運河としても利用された)竣工は明治23年。伊香郡からは、琵琶湖を船で大津まで来て、徒歩で逢坂山、東山越えをした。

当時の詰所(お講家オコヤ)の1日

当時の詰所(お講家オコヤ)の1日

 3時30分起床、詰所仏間で朝事勤行の後、仮御堂(焼け跡に建てられた仮の御影堂・阿弥陀堂)に参拝、夜明けとともに作業開始、正午に詰所に戻り昼食・休憩、この場へはしばしば黒衣墨袈裟の歓喜光院(後の乗如上人)も来訪して、同じ釜の飯を食いながら法話・談合したと伝えられる。午後2時より高倉学寮の第一級の学僧による法話、その後、作業。日暮れとともに詰所に戻り、夕食の後、総会所で法話と談合および翌日の作業の打ち合わせを行い、次いで詰所に帰り、夕事勤行と談合、午後9時頃就寝と極めて充実した毎日でした。因みに朝夕、内仏にお参りし、夜明けとともに野良へ仕事に出て、日暮れに帰る生活は、電気が無くて、信仰心の篤いその当時の湖北(滋賀県伊香郡周辺)の農家の農繁期の普通の生活でした。